意見の一貫性について考えてみる。

超長文。ちうい。
ネット社会と言われる昨今。
自分の発言がずーっと残って、
「前にはこんなこと言ってたじゃないか!」と矛盾を指摘されることもあります。
フラフラ意見が変わるコトはよくないことだと思っていますが、
逆に心変わりはしてはいかんのか?と思うこともしきり。
そこで、心変わりしたときにどんな方法をとるのがベストなのか、
ちょっとだけ考えてみることにしました。


・好き→嫌いになったとき
ブログ上では、基本触れずにスルーな感じで。無理に触れずに。
触れ方によっては現行のファンを著しく傷つけます。
そこが好き、って人もいるんじゃないかな、と。
嫌いなトコを書き連ねてストレスの溜まらない人も珍しいだろうし。
メタメタに批判すると、別れた恋人への逆恨みの言葉を書き連ねてるみたいで、みっともないかも。
ただ、「ここがこうならねぇ…」的な、一線を越えないものならそれは感じられないでしょう。


・嫌い→好きになったとき
嫌いのときの書き方にもよります。
嫌いなときに触れてなかったら問題なく書き始めることができるでしょう。
嫌いなときに、極めて理論的に「ここがダメだ」と言えていた人なら、
そのダメだったポイントがよくなったと感じたり、その他の点でいいと思ったとこがある、
など非常に理論的に書くことは可能だと思います。
それで矛盾を感じることはないかな、と。
問題は、感情論だけでメタメタに非難してた人を好きになっちゃった場合。
これは非常に矛盾を孕みます。
特に、ボロクソに言っていたわけですから何の説明もなしに「この人大好き!」ってなると
人間としての良識を疑われます(元からゼロの人はいいですけど)。
非難していた事実をスルーするのもよろしくない。
じゃあ、日記を削除すればいいか?答えは「ノー」。
日記を削除するってのは、要は「隠蔽工作」なわけですから。
それならどうすればいいかっていうと、「打ち消し線でその発言を修正しつつ、
日記で自分の見解が変わったことを述べる」ことかな、と。
打ち消し線での修正は「そこまでせんでも」とは思うんですが、
最低限ちゃんと自分の見解が変わったことと、過去への総括くらいはしないと。
「テメェなんか顔も見るのもイヤだ!」って言われて、
次の日に何の前置きもなしに「大好き!」って言われたら、どう思うか、と。


まぁ、なんつーか、アレですよ。記念カキコ(違)
要するに、自分の意見なんだから都合が悪くなったからって消すのはやめましょうや。と。
それに、現実世界での発言なんて
後々都合が悪くなったからって消せるようなモンじゃないし、ねぇ。