「コスって!オーマイハニー」感想
意図的にだろ、どう考えてもこの低クオリティw
コレを楽しめるかどうかは、EDテーマ集を楽しめるかどうかよりも更に敷居が高い気がする。
もちろん、EDテーマ集を楽しめなければその瞬間に絶対にアウト。
そういう人は、間違いなくこんな希代のネタソン楽しめないぞ。
というか、楽しめない人よりも楽しめるアングルから楽しんだモン勝ち。
文句だけダラダラグダグダ言うのカッコワルイ。
さて、こちら側から垂れる文句はこの程度にしておいて。
この「低クオリティさ」加減は徹底しているのである。
CDのレーベル面も手焼きCDっぽさ全開。
歌唱力的なクオリティも正直低い。
普段の平野さんの歌声を知っている人からすると疑問符すらつくだろう。
でも、いいのだ。これでいい。
知らない方に説明すると、このCDで歌っている「こなたとパティ」は
秋葉原のメイド喫茶でバイトしている、ただの女子高生2人組。
それは決して去年「涼宮ハルヒの憂鬱」で
一大ムーブメントを巻き起こした「平野綾」ではないのだ。
というか、であってはならない。
加えて、心に入ってくる歌詞を書ける作詞家であってはならないし、
体も心も揺さぶるようなメロ・アレンジを作れる作曲家であってはならない。
設定上とはいえ、コレは紛れもない同人CD。そして、彼女達はただの女子高生である。
同人CDとはいえ、ピンキリである。
彼女達はサンホラや片霧烈火、
上海アリスのような人たちの側の人間ではない。
ただの女子高生がノリと勢いで作ったCD、という設定なのだ。
だから、別に「同人音楽なんてどいつもこいつもこんなクオリティなんだぜへっへー」とか
バカにして作ったわけではない。
むしろバカにされているのはそういう設定付けをなされた彼女達の側なのだ。
では、なぜそんなに分化させておかなければならないのか。
それは、今現在と同じ時系列で進行している(むしろ追い越そうとしている?)
「らき☆すた」という作品を崩すことになりかねないからだ。
なぜか。
それは、「泉こなた」は観客として涼宮ハルヒの激奏に参加してしまっているからである。
彼女は「God knows...」を弾き語る「平野綾」に憧れたまま会場を後にした。
そんなシーンが作中に存在する。
つまり、他の作品においては若干許容される可能性のある
「キャラソンだけど歌声がが本人っぽい」っていう要素は、
この作品においてはタブーなのである。
まぁ、そう考えると9月のキャラソンリリースによって
多大なるタイムパラドックスが起こりかねないのだが、現段階ではおいておきたい。
というか、アニメ的にはもう9月とか通り過ぎてるような気もするし。
おまけに21話で「ロケの二の舞かぁっ!」とかみのるが発言してしまったため、
そこらへんの境界線の解釈がめんどくさいことにはなっているんだけれども。
…なので、9月のキャラソンでも「平野綾」ではなく
「泉こなた」としての歌声を披露してくれそうな予感が満載。
「平野綾」としての歌声が聴きたくて、それ以外には何の興味もないのならば、
この曲も9月のキャラソンもスルーして、10月からの3ヶ月連続リリースに思いを馳せればいいと思う。
叩くために聴かれるのだけはやめるのをオススメする。時間のムダだから。
時間のご利用は計画的に。
結局、「らき☆すた」という作品を本当に楽しんでいる人にしかこのCDはオススメできない。
だから、逆にロクに見もしないのに
「なにこの酷いアレンジ」とかいうことだけはやめてほしい。
目論見的にはもちろん「売りたいから出している」のだろうけれども、
それも「作品に忠実」という大前提をしっかり守って、それで「出している」のだから。
ここまで書いてきてふと思った。
この1枚はらき☆すたというアニメ作品の一部なのではないだろうか。
要するに、この曲単体で評価するなんてのはちゃんちゃらおかしい、ということで。
不可分なものも存在するよ、といういい見本。
…ちなみに、9月のキャラソンリリースはおそらく間違いなく「売りたいから」だろうけれども。
そこらへんは、歌詞と歌声に注目しようではないか。
それで、このアニメの本気度がさらに浮き彫りになると思うから。