まじめな話。

松本零士先生の怒りもわかるっちゃぁわかるけど…。
うーむ、曲全体のテーマから考えると、別に完全に999を意識して作った、ってわけでもなさそうだし。
(いちおう歌詞は読ませていただきましたが。)
この歌詞のテーマは「夢」です。
999は夕方の再放送でしか見た事ないし、それで語るのも横暴かもしれませんが、
その「夢」とこの歌詞の「夢」は違うもののように思えます。
(後半ちょっと重なってるかもですが、前半はなんか違うと思う。)
言い回しだけ取った、ってのも考えられなくもないですが、
それ以上はパクったパクらないの水掛け論の予感。




それで、頭の中につきまとってしまうのは
「じゃあ"銀河鉄道"っつーアイデアは使ってもいいのか?」ってこと。
それで宮沢賢治が存命中で、「銀河鉄道という考えは私のものだから」云々言って、
作品ができなくなってたらどーなんでしょう。
(さすがにそういうことはしない作家だと思うけど。)
著者没後50年経ってから使ったんですか?
…なんて問い詰めるのってバカらしいでしょ。
999はすばらしい作品です。「銀河鉄道」っていうアイデアをパクったパクらない抜きに。
その作品の中にある世界観とか、発せられてるメッセージとか、そういうのがすばらしいわけです。
そこまでまるっきり取られたとしたら、そりゃあ怒るのも当然でしょう。
でも、僕にはそう思えなかったな、と。そういう話です。
サビに似た言い回しが使われてるけど、なんだか発せられてるメッセージは違う気がして。
サビ全体を見て、それで発せられてるメッセージが同じなんでしょうか…
ちょっと999の21巻探して来たいくらい。




…個人的には、それよりも「機械の体」がらみで「アンドロメダ」まで到着して、
機械の体から人間に交換してもらう直前まで話の進んだ
まじぽかのほうが遥かに危ないし。
ま、パロディだし、本人も知らないとは思うんですけどね。


言い回しが重なってはいけない、なんてことになったら
もう作詞なんかできないと思うんですが、どうでしょ?
テーマが完全に重なってるならまだしも、部分的にはってのは、ねぇ。