いろいろと考えてみる。

長くてぐだぐだなんで以下検閲。
とりあえず毎年思うのは紅白に課せられるハードル高すぎ。
40%近くとっても低い低い言われるのには、しっかりウラがあるのご存知?
ただ「最近の紅白は数字下がってきたよなー」だけで叩くなんざぁ、
ちょいと流されすぎじゃあありませんか、おまえさん?(誰キャラだ)


まず毎年年末紅白の出場者が決まったりすると、各種報道機関からは
「最近視聴率の低迷している紅白ですが…」という枕詞がつけられます。
視聴率高い低いだけで語るのであれば、大事なことを忘れています。
他の民放は紅白にダブルスコア(もしくはそれ以上)の差をつけられているという事実。
「笑ってはいけない警察24時」見ました。面白かったです。
でも「数字重視で語る」という前提に立てば、こちらは二桁ギリギリです。
では、なぜここで「紅白低迷」を躍起になって言い続けるのか?
自分なりに理由を考えてみました。
すると、こんな図式が思い浮かんできます。
「紅白低迷→暗に""紅白見るのカコワルーイ""的な刷り込み→大晦日家族で見るコンテンツが紅白から移る
→移る先は民放→各局ウマー」みたいな。
ただの推測に過ぎないんですが、なんかこんな流れが見えてきてしまうんですが。


それにただ乗っかってカッコイイと思って「紅白なんてカッコ悪い」なんていっちゃうのが、
実は一番カッコ悪いと思っちゃいます。


DJ OZMAの件にしてもそう。
裸に見えるボディースーツの件。あれはそこまで大きな問題か?と。
「大晦日だしもう年も終わるし、まー流せばよくね?」っていう気持ちでいっぱい。
「教育上良くない!」って抗議の電話をなさったアナタ。
その段階で親としていかがなものかと思います。
確かに、悪影響を与えない、とは僕は断言できません。
ただ、それをどう伝えるのか、どういうものなのか
子供に説明をつけられるのが親なんじゃないんですか?
いつも思うのは何かあるとすぐ「子供の発育にTVが悪い」的な論調が出てくること。
全部TVが悪くない、とはいえないにしろ、
TVが悪い、と押し付けてしまうのは親の責任放棄なんじゃないかと思います。
あと、それに乗じてNHK叩ければいいやー」的な考えの人。
回線切れ。マジで。
個人的に嫌いならそれでいいから。
他の人に押し付けたり職員のストレス倍増させるのだけはやめるのが賢明ですよ、と。


むしろ、僕としては
リハーサルの時の記者会見から3日間にもわたる壮大なる前フリをし、
視聴者を演目開始、そしてクライマックスに至るまでハラハラドキドキさせ続け、
最後にきっちりと大御所を登場させて見事にオチをつけた
っていう、
紅白史上まれに見るほどの長すぎる前フリによるコント、しかも
叩くために記者会見を利用した他局・スポーツ紙を
完全に利用しきった
あたりに
敬意を表するしかないのですが。笑い的には。


…他人が叩いたから同調して叩く。それって楽だけど、よくないんじゃないかなー、なんて。
最近ブログ炎上が多いのもあわせて、そう思います。
それって一種の「いじめ」かもよ?




乱文・長文、失礼いたしました。